DD51-842お召し装備
国鉄末期、昭和60年の12月に佐倉機関区で撮影会が開催された際に、目玉展示されたのが、DD51-842のお召し装備です。
サイドのランボードのステンレス帯、手すり、煙突カバーの交換が行われて、綺麗に整備された姿で展示され、いまにも1号編成を牽引するかのようでした。
職員の方の話だと撮影会終了後には通常装備に戻すとの話でしたが、実際には煙突カバーは戻ったものの、機関区の粋な計らいで帯と手すりはそのままで運用に就き、それまで地味に活躍していた佐倉区のDD51に注目が浴びるようになりました。
その後、全検入場しの際に戻されるとの話もあったのですが、戻されることなく活躍し、昭和61年の国鉄最後のダイヤ改正で貨物列車削減に伴い、検査期限の長い車両が高崎第一機関区に転属することになりました。
佐倉区はJR貨物に、高一はJR東に継承され、842号機は再びお召し指定機に抜擢されることなると言う数奇な運命を辿った訳です。
この時の撮影会が無ければ、今のように再びお召し指定機になることは無かったかも知れません。
この撮影会には千葉局としてかなりの力の入れようで、東京機関区で二休車中のEF58-160、田端区のEF80-52、高崎二区のEF15-200、EF60-501を借り入れるなど豪華メンバーでした。