急行「天北」でのタブレット交換

急行天北

昭和63年にキハ40をベースに改造されたキハ400型気動車により置き換えられた急行「天北」です。
昭和63年の12月に稚内から乗車しました。天北線は翌年(平成元年)の廃止が決まってましたから、お別れ乗車を兼ねて・・・。

タブレット

「声問」駅を通過する際にタブレットを天北線はタブレット閉塞でしたので、駅員配置駅も多かった記憶があります。
急行天北が通過する駅では、タブレットキャッチャーが活躍してました。

曲淵駅

駅係員が進行信号を表示する曲淵駅を通過します。
タブレットの授受があるので、天北は稚内~音威子府間が運転士2人乗務でしたね。

急行「天北」でのタブレット交換” に対して2件のコメントがあります。

  1. smilykaz より:

    こんな時代がありましたね。私は63年8月に急行天北に乗りましたが、その時は14系でした。寝台車を座席として使えたり、格別でしたねえ。
    北海道の鉄道事情も大きく変わったんですねぇ。

  2. TRAVAIR より:

    14系時代の天北は、ほんと良かったです。冬の空いている時期にはゴロンとなれたし。
    宗谷と天北がこの気動車に変わった時は残念でなりませんでした。

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